ボッチポッチ。ステーション

天涯孤独、もうすぐ消えるちっぽけな人生を生きる女が思うこと。

その6 小学4年 ドラマチック

誰もがそうであるように、誰もが人生というドラマの主役だ。

近い将来、運命の人に出会うまでの二人の生涯を漫画にするという商売ができるかもしれない。実際、結婚式で新郎新婦の人生をドラマ仕立てにして役者が演じるというのが感動を呼んでいるらしい。

それでも全てをさらけだすのは都合が悪い人も多いだろう。
良い部分だけ残しておけば良いよね、結婚式なんて特に。

けれど、私は全てを残しておきたい。この世の真理こそが絶対正義だと信じているから。出来る限りありのままに、あの時たしかに存在した私たちの記録を記しておきたい。



・夜遊び
小学4年生、クラス変えはなくて3年生の仲良しメンバーのまま学年が上がった。先生だけが変わって、若い女の先生になった。
親友のNちゃんと私は漫画製作に夢中だった頃、この若い先生が漫画家を目指していると聞いて大感激した。先生とはすぐに仲良くなった。意外にも怒るともの凄く怖い先生でもあった。

私は四六時中ノートとペンを離さなかった。「なかよし」に新連載された「レイアース」に心を奪わて、その作者の漫画を片っ端から集め始めた。けっこうダークな内容が多くて分からない部分も多かったけど、強烈な個性と美しい絵に魅了されていた。

漫画に夢中になる一方で、夜遊びも手慣れたものになっていた。


母にはいつからか恋人がいた。夜の仕事に行っていたパブの社長、既婚者である。どうやら母は愛人になったらしい。
母はスラリとした長身美人で、恋人はずんぐりとした背の低い太ったおじさんだった。まさにでこぼこカップル。
私はその恋人をおじちゃんと呼んでいた。

おじちゃんは顔が広くてお金持ちだった。一流選手の知り合いがいると言うので野球場の裏へ行ったり、いかにも高そうなレストランやクルージングディナーへ連れて行ってくれたりと、母と私はこの人のお陰で何不自由無く過ごすことができた。

そのおじちゃんの影響で母はパチンコというギャンブルを知った。花札やおいちょかぶも教わった。
それは当然母の親友Rにも伝わって、それからはパチンコに通うことが多くなった。

私たち4人(母、私、母の親友R、Rの娘Hちゃん)は小さい頃から一緒にいる家族同然の絆の強い仲だった。
私が小学3年生になる頃には、お決まりの夜遊びコースができていた。
夜ご飯は居酒屋で、食べ終わったら近くのカラオケへ行った。漫画を知ってからは私だけノートを広げて絵を描いていた。お金があるときはパチンコへも行った。親がパチンコをしている間、私とHちゃんはお小遣いを貰ってゲームセンターで遊んだ。パチンコの出が悪いときは早く切り上げてカラオケをしたものだった。
この時の流行の歌、ドリカムやミスチルはすぐに覚えて歌っていた。
帰りはいつも夜12時を過ぎていた。
幸いなことにRが母の恋人のおじちゃんを大嫌いだったお陰で、この4人の集まりを邪魔されることは無かった。

私にとっては早すぎる夜遊びだったけど、すごく楽しくて幸せだった。これが私の生涯で一番幸せな時期だったように思う。


・嬉しかったこと
母は放任主義で(祖父がそうだったらしい)、私にあまり干渉することはない人だったけど、責任感がとても強くて母としての義務はきっちりこなす人だった。
どんなに夜遅く寝ても朝私を学校へ送り出したし、仕事があっても参観日やPTAにしっかり出席していた。
そんな母は私の為に毎年誕生会も開いてくれた。
4年生のときはクラスの仲良しな男女を呼んで(いちばん人数が多かった気がする。)、美味しい手作り料理をたくさん振る舞った。
11人くらい来てくれてプレゼントを貰った。一番印象に残っているのは、お金持ちのイケメン君がくれた蓋にカメオが付いた宝石箱だった。やっぱりお金持ちはプレゼントも違うなあと思った。イケメン君には特別な感情は少しもなかったけど、その宝石箱はいまでも大事に持っている。

母はおじちゃんに褒められるせいか料理の腕がめきめき上がった。

私はこのクラスメイトの投票のお陰なのか、その年の校内イラスト大会で学年優秀賞に選ばれた。発売されたばかりのドラゴンクエスト5のイラストで、主人公とキラーパンサーという虎のような獣とヒロイン2人を描いたものだった。ドラゴンボールが大人気の時にその作者の絵柄を模写したので題材が良かったのかもしれない。初めて全校生徒の前で表彰されることになった。
私が人生で2番目に嬉しいことだった。


・叔父
私はこの頃、将来は男か虎になりたいと思うような変わった子だった。自由でかっこいいものに憧れていた。

その憧れの男というのは、血のつながらない祖母の連れ子の影響だった。祖母の連れ子は端整な顔立ちの兄弟で、その頃は兄は高校生か大学生、弟は中学生で、弟は誰もが認めるイケメンだった。よくキムタクに似ているともてはやされていた。
弟は私からすると血のつながらない叔父になるけど、小さい頃から私を妹のように遊んでくれる遠い兄のような存在だった。テレビゲームも教えてくれた。

母は市内にある実家へ遊びに行くことがよくあった。祖母は祖父の2人目の妻で母にとっては継母だ。母の姉と祖母は仲が悪いけど、母は祖母に気に入られていた。祖母は私が赤ん坊の頃からよく面倒を見てくれていた。私にとっては本当の祖母と同じだった。
実家に遊びに行ったある日、母と祖母はお買い物に出かけるので、兄のような叔父と私でお留守番をすることになった。テレビゲームなどをして遊んでいたけど、そのうちくすぐってくるので私は2階へ逃げ出した。追ってきた叔父は私を捕まえてベッドのある寝室へ連れて行った。私はベッドに寝かされたので布団に隠れた。すると叔父は布団にもぐってきて私のパンツを脱がせた。私はよく分からなくてただ天井を見つめていた。いったい何がしたいんだろうと思った。
その時に車が停車する音が聞こえて、母達が帰ってきたんだと気付いた。叔父は何も言わずに1階へ降りて行った。私はパンツをはいて下へ降りて行った。
その後も何事もなかったかのように過ぎた。これはただの遊びだと思って忘れ去った。けれど、それから叔父の傍に近寄ることは無かった。
この容姿に恵まれた叔父は現在、詐欺の罪で刑務所に服役している。


・姉の死
ある日、犬の姉のシェットランドシープドッグの具合が悪くなった。吐いたり、今まで一度もしたことの無かった粗相をするようになった。病院に連れて行くと、子宮ガンで安楽死を薦められた。母はなんとか延命することを希望した。うちの台所に寝かせて1週間程看病したけど、甲斐無く息をひきとった。11歳になる誕生日が目前だった。
私は学校から帰ってきて、台所に寝ている姉とその横にいる母の夜の仕事友達(母が昼の仕事に行っている間看病してくれていた)と母がいて、死んじゃったよとかすれた声で聞かされた。
まだ死を理解できなかった私は動かなくなった姉をただぼーっと見つめて座り込んで、何十秒かして溢れてきた寂しさを吐き出すように涙をこぼした。
その日は犬にしては盛大なお葬式になった。姉を知っている人たちがみんな駆け付けてくれた。けれどみんな翌朝には仕事があるので夜には帰って行った。親友のRとHちゃんは泊まるので一緒にいてくれた。犬の姉の思い出話に、涙とともに花が咲いた。
私が寝る準備をしていると、「母が何も言わずに出て行った!」とRとHちゃんが騒いでいた。きっとタバコを買いに行ったんだと待つことにした。待っても帰ってくる気配がなく、どこかで自殺する気なんじゃないかとRが言うので不安が募ってきて、3人で探しに行くことにした。その頃はまだ携帯電話などなかった。それでもRには行き先が分かっているようで、家から1キロも歩く大きな公園へ夜道を歩いて行った。よく姉と散歩したコースだった。
大きな公園の入り口に小さな公園があって、母はそこでブランコに乗っていた。無事でいるのを見て私たちはホッと胸を撫で下ろした。母はRに、星なったお母さんに姉をよろしくねとお願いしていたと言った。
いつも責任感の強いしっかりした母が、この時はとても弱く見えた。母が生涯でただ一匹、ペットショップで一目惚れして自分のお金で飼った犬で、どこへ行くにも連れていた賢い愛犬を失ってしまったのだ。よほど辛かったのだろう。


姉がいなくなって私はゲームと漫画に没頭するようになった。この頃には学童保育もやめていたので放課後は好きに遊べる時間が増えていた。親友のNちゃんが毎日遊ぼうと誘ってくれたけど、次第に私は好きなことをしたくて誘いを断るようになった。Nちゃんには悪いなと思いながらも断る理由を探すようになった。束縛されるのが嫌になったのはこの頃が原因だったと思う。
Nちゃんのことは好きだったけど、消しゴムを万引きしたと聞いて、私にもやらないかと聞いてきた時はさすがにあり得ないと思った。Nちゃんの兄の影響らしかったけど、自分の正義に反することはしたくなかった。私は不正とか汚いことに嫌悪感があった。
Nちゃんとは少し距離を置いていた頃、地主の娘という女の子とよく遊ぶようになった。その子のお家は山一つという広大さで、古いお屋敷と井戸と裏庭という小山があった。コンクリートジャングルの都会しか知らない私は、井戸と小山に魅了されてそれ目当てに遊びにいったのだった。友達そっちのけで小山の木々と落ち葉の積もった自然の中で遊ぶのが楽しかった。それは癒しだった。