ボッチポッチ。ステーション

天涯孤独、もうすぐ消えるちっぽけな人生を生きる女が思うこと。

その4 小学2年 無知な子


どれだけの人がこの世の真実を知ることができるのだろう

どれだけの人が真の価値を知っているのだろう

みんな知らない、知る術も無い、きっと誰も知らないまま消えていってしまう

誰も知らないままとても綺麗で無垢なものばかりが失われていく

私に止める力があったらいいのに

動物も母も守りたいのに

守りたかったのにどうしたらいいのか分からない

なんて無力で愚かで馬鹿な自分



受難は続く



小学1年生の2学期後半あたりで百日咳にかかった。
この病気は壮絶としか言いようがなかった。毎日、ひどい咳発作と鼻水と嘔吐に襲われた。とにかく咳と鼻水が止まらなくてひどかった。しかもそれが1ヶ月以上続いた。自分でもよく耐えたなと思うけど、それに付き添った母親も大変だったと思う。
飛沫感染するから3学期は学校に行けなかった。どうも1年生の記憶に乏しいと思ったら、3ヶ月も続く病気のせいだった。


2年生には元気に復帰できたものの、小児ぜんそくというおみやげがついた。激しい運動や泣いたりするとぜんそく発作が起きるようになった。
周りの大人がこぞってヘビースモーカーだったので、そのせいもあったかもしれない。親戚一同集まるとみんなで煙をもくもくと炊き上げたものだった。


1年生の担任の先生はとても優しい若い女の先生だったけど、2年生の担任はそれとは打って変わって厳しい年配の女の先生だった。
生まれて初めて苦手とする人だった。


病気でこもっていたせいか私は子犬のように元気にはしゃいで、友達と話したり男の子に混じって遊ぶやんちゃな子だった。たぶん授業中もうるさくしていたのだろう。先生に目をつけられて、給食のときや掃除のとき、ことあるごとに叱られた。手を叩かれたこともあった。私は楽天家なので細かくは覚えていないのだけど、身なりがきちっとしていていかにも融通が利かなそうなこの女の先生のことを、意地悪で苦手だという思いだけは強く残った。


それが影響したのかは分からないけど、私は奇行にはしった。

休み時間に校庭で遊んでいた。鉄棒をしていてふと持ってきた縄跳びを首に巻き付けて力を込めた。首が締め付けられて息ができなくなってきた。それでも力をゆるめなかった。
隣で鉄棒をしていた友達が「(私の名前)ちゃん、顔真っ赤だよ。」と言われてやっと縄跳びを握っていた手を緩めた。友達が私に「どうしてそんなことするの?」と聞いたので私は「どうなるのか気になって。」と言った。本当にただ気になっただけだった。なぜ気になったのかは分からない。

学校を終わると友達と一緒に学童保育へ通っていた。学童へ着くとみんな思い思いに遊ぶ。私は一緒に通っていた友達と2人でイスと机を片付けていた。友達が並んだ机の下にしゃがんで入り込んで掃除か何かしていて、私はそのときふと思い立って、イスを動かして友達が机の下から出てこれないように道を塞いだ。友達は出れないことに気付いて慌てて「どけて!」と言ったけど私はイスを動かさなかった。当然友達は混乱して泣き出してしまった。そして学童の先生が来た。
「どうしてこんなことするの?」と先生が聞いてきた。私は何も答えなかったと思う。先生が来て初めて私が友達をいじめたんだと気付いた。そして心と体がずしりと重くなったのを感じた。なぜそうしたかったかは分からない。ただしてみたかった。どうなるか知りたかった。
その後先生は学童に母を呼び出した。その日はそのまま帰ることになった。
次の日、私はその友達に謝った。その子はとても穏やかで優しい子で、快く許してくれた。けれど、どこか私を怖いと思っていたかもしれない。それでもその子とは変わらず一緒に学童に通ったり、家で遊んだりした。
その後一度たりとも友達をいじめたことはない。

私は宿題をやらない子だった。なぜそれをやらなきゃいけないのか分からなかった。母はその事を知って、初めて私を真剣に怒った。母の親友のRまで呼び出して一大事とでも言いたげだった。
私も初めて母にくどくどと怒られた。私はそれまでヘラヘラしていたけど、初めて怒られて…それでもやっぱりヘラヘラしていたようだ。というのも、母が「反省の色がないの!?」と聞くので私は「反省の色って何色?」と気になって聞き返したら、それを聞いていたRが大笑いして、私も笑うことになって、母は怒る気を無くして心底呆れ返ったのだった。
このことはその後、母とRによって幾度も話の種にされた。
けれど母の怒りは功を奏して、その後私は一度も宿題を忘れることはなかった。本当にただの一度も無かった。いつも放任主義だった母が初めて私に向き合って話してくれたことが嬉しかったのかもしれない。
私はこの時、自分の行動に責任をもつことを学んだ。


どうやら好奇心旺盛な私は間違いを犯さないと学ばないらしい。


いつからか母は夜の仕事が休みの日は、私より2、3歳年上の女の子Mちゃんがいるお宅へご飯を食べにお呼ばれする事があった。Mちゃん家は典型的な団地に住む核家族と言う感じで、両親とMちゃんとMちゃんのお兄さんがいる家庭だった。
夕食が終わると決まって私とMちゃんは一緒に遊んだ。Mちゃんは年上だから色々な事を知っていた。綺麗に色を塗る方法や、可愛い女の子の描き方、あやとりなんかも教えてくれた。何をするのも上手で尊敬していた。
好奇心旺盛な私はMちゃんのお兄さんの部屋に行くことがあった。Mちゃんのお兄さんはあまり話すタイプではなく、いつも部屋にこもっていた。お兄さんの部屋にはテレビゲームが置いてあって、私にもやらせてくれた。お兄さんの膝の上に座って私がゲームに夢中になっているとパンツの中に手が伸びてきた。私はそれがどういうことなのか知る由もなく、なんだろうと思うも手足を触られるようなものと同じでまったく気にしていなかった。

そのうちおまたの皮膚病になった。病院へ行って塗り薬を貰って、何日かして治るんだけど、Mちゃんちに行ってまたぶり返した。
それで母が気付いたのかは知らないけど、いつからかぱったりと行くことはなくなった。
このことは私の頭の隅っこに追いやられて思い返すこともなかった。